「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 ゴーギャンの絵『我々は何者か』の問いとスピリチュアル的「解」。  

 ゴーギャンは少女性ロリコン 愛者のようだった。
 彼はタヒチや他の島で、13歳から14歳の少女を何人も愛人や妻にしている。
 ただし南洋の女性は早熟で、特に少女期は愛らしさがあるせいかもしれないが。

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 『マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)』現地妻テハーマナ(テフラ)13歳が死霊に怯えている。


 しかしゴーギャンは霊的な希求心が強かった。
 ゴーギャンには人生の意味について、子供の頃から考え続けた疑問があった。
 下の絵のタイトルがそうだ。

  『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
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 この問いは、西暦2世紀のキリスト教的「主知主義」の一派であるグノーシス
の思想家テオドトスの言葉を要約したもので、正確にはこう書かれている。

「我々は何者であったのか、何になったのか。我々はどこにいたのか、どこに行
こうとしているのか。我々は何から解き放たれるのか。誕生とは何か、再生とは
何か」


 解釈は思想や視点によって変わってくる。
 今回は、ゴーギャンの問いの “スピリチュアル的な「解」”を考えました。

 ゴーギャンの絵『我々は何者か』の問いとゴーギャン的「解」。  


 前回考えた、ゴーギャンの深遠な問い。
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
 これをタイトルにした絵は、悪魔の削除と生命の再起動を示しているようです。

 そのように説明しているサイトは、ざっと検索した限りでは見つからなかった
のですが、そう思える根拠があります。
 まずは下の絵がヒントですが、すぐ分かれば S.ホームズや金田一耕介級です。

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 『ヴァイルマティ』1897年 マルキーズ諸島の神話に登場する美女で、後に神の妻になる。



『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(クリック拡大)
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  (老年期)  ← ← ← ← ← ← ←  (成年期)  ← ← ←  (幼年期)


 絵のタイトルは、ゴーギャンが子供のとき神学校で教えられた教理問答が元に
なっています。ゴーギャンはタヒチで、この絵を永遠の謎解きのテーマとして描
いたあと砒素自殺を試みたので、この大作は彼の遺書のようになりました。

 今回は、この深遠な問いの“ゴーギャン的な「解」“を考えました。

 雨を線で見た浮世絵と、事象を点で見る視点。 


永い永い間、西洋の風景画はピーカン待ちであった。
すなわち、画家は “雨の絵” は描かなかった。
伝統的な写実画法では、雨をうまく描くことができなかったからだ。

一筋の雨は一滴の水から成り、その形は涙滴状ではなく、ほぼ球状をしている。
人が雨を線と見るのは、眼の残像効果で細い線のように見えているに過ぎない。
西洋画は、輪郭線で描かないので、雨を線で描くことを思いつかなかったのだ。

     raq18.jpg Pixabay


19世紀、日の出ずる処の絵師が、日の沈む処の画家に絵の新しい描き方を示した。
黒船が太平の夢を破った如く、日本の浮世絵が西洋に渡り、彼らの目を開かせた。

あまりに遠しふらんすに、空前のジャポニスムブーム到来。
ついに西洋は、浮世絵により、 “雨の絵“ を驚嘆とともに知った。

すなわち、“点” を “線” で見る視点を得て、「雨雨ふれふれ、もっと降れ」、
さらに「都に雨の降るごとく わが心にも涙ふる」の芸術意識になったのだ。

立体感を表さず、左右不均衡の大胆な構図のなかに、輪郭線で図柄を描く浮世絵。
この画法は、多くの画家、アール・ヌーボー、グラフィックなどに影響を与えた。

 サロメは小悪魔的で、一度は会ってみたい悪女である。 


悪女とは悪い女のことなり。
悪い女と知りつつなお愛を誓う心の悲しさよ。(笑)

さて、「悪女」には3つのタイプがあります。

(1) 性格が悪い女のことで、昔は性悪女、毒婦、妖婦、阿婆擦れと言った。
ライバルの女の両手足を切断し、酒甕に放り込んで殺した残虐な奥方が最悪事例。
武則天、西太后、北条政子、日野冨子、そして舌切り雀のお婆さんもおそろしい。
ただし悪妻レベルなら、夫を著名な哲学者にする事例もまれにあり、結果良しか。
ちなみに悪男という言葉はないが、悪人、悪漢、悪党、悪魔などはみな男である。

(2) 器量が良くない女のことで、昔は醜女(しこめ)などと失礼なことを言った。
もう女っ気を捨て、食い気のみ旺盛な場合もあり、男はそんな女を固く辞退する。
しかし悪女の深情けと言って、とことん男に尽くすので男には有難い場合もある。
妻をめとらば 情けあり 才たけて 見め美わしく、が男が幸せになれる順序だろう。
人間の真価は内面にある。女の麗しさは偽りなり。と賢くなった男が言っている。

(3) 性的な魅力で男を操る女のことで、歴史は夜つくられるときの陰の主役。
子ネコのように甘え、ヒョウのように背中を引っ掻き、ヘビのようにたぶらかす。
小悪魔、魔性の女、淫婦、女狐のほか、フランスではファム・ファータルと言う。
ファム・ファータルとは運命の女の意。出逢ったら最後、男は谷底に転げ落ちる。
すこぶる美形で、セクシーで、会話も弾み、人生一度はお目見えしたい女である。


と、前振りが長くて恐縮ですが、
今回は、新約聖書に出てくる「悪女」を取り上げ、主に男性向けの話にしました。
その元の記述は福音書にあります。(マタイ14:1-11、マルコ6:17-28)


1910) Adolf Frey Moock (1881 1954
1. Adolf Frey Moock 1910

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