「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 なぜ、キリスト教は当初、大迫害されたのに拡大したのか? 

(今回は “信じる” ことについて、ちょっと硬めの話です)

 宗教は大抵、教祖とごく少数の信者から始まります。
 イエスの死後、「クリスチャン」と呼ばれた少数の人々は、ユダヤ教から目の敵にされ、ローマ皇帝からはローマ市大火の犯人とされ、円形競技場で見世物にされたり虐殺されたりして国家的に大迫害されたのですが、数百年のうちにローマ帝国がキリスト教国に変わるほど強大な宗教組織になりました。

 イエスは殺され、信者たちの多くは下層民で、国家的弾圧を受けたのに、どうしてキリスト教は拡大したのでしょう?(日本では禁止されて隠れ切支丹になった)

 それはイエスの教えが特別に素晴らしかったからでも、イエスが利他的な愛にあふれていたからでも、病人の癒しを数多く行なったからでも、弟子たちがイエスの奇跡力を受け継いでいたからでも、当時の人々が単純思考で迷信深かったからでもありません。
 キリスト教が拡大したのは、弟子たちが、イエスは復活したと信じたからです。そこに、イエスを復活させた神の力を見たからです。

 今も昔も死者が復活したなんてことを言えば、非科学的だ非常識だと思われますが、これが最大の理由です。他に合理的に納得できる解釈はないでしょう。※


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 アメリカ映画『復活』2016年 https://www.youtube.com/watch?v=C8G_w0xf1xg
 

 当然、反論があるでしょう。以下、考え得る主な反論とその反論を述べます。


                 


 反論1:「イエスが復活した物的証拠は無い」 

 復活ではなく、仮死状態から息を吹き返したのだろうとか、幻覚を見たのだろうとか、狂気や盲信、集団洗脳だろうといった意見があるでしょうが、じつは当時、復活後のイエスを見た“目撃証人”が大勢いたことを聖書は記録に残しています。

 使徒パウロはコリント人への第一の手紙の中で、こう証言しています。
 イエスは復活後に、「ペテロに現れ、次に十二人(使徒)に現れ、五百人以上の兄弟たちに同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。それからイエスの兄弟ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、最後に(十二使徒ではない)私パウロにも現れた」。(15:5-8)
 当時も復活を信じない人がいたようで、「大多数は今なお生存している」とは、信用できないなら目撃証人に会って確かめてみよ、嘘じゃない、ということです。


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 反論2:「復活したのではなく、狂信ゆえの勘違いだ」 

 イエスの処刑はローマ当局によって行われました。三日間イエスは刑柱に手足を釘で打ち付けられ、心停止しているかどうかを脇腹を槍で刺して確認したうえで、ローマ総督ピラトに報告され、ゴルゴタの墓に埋葬されました。死亡は事実です。五百人以上が同時に幻覚を見たり、集団洗脳されるなんてことはあり得ません。

 十二使徒の中にも疑い深い人、言い換えると科学的思考の人がいました。トマスは、「イエスの手と脇腹の孔に触れない限り、決して復活を信じない」と疑っていたのですが、ある晩、弟子たちの前にイエスが現れたので信じるようになります。彼は物的証拠を自分の目で見たので「復活」を信じたのです。 (ヨハネ20:25)

 
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 反論3:「イエスの復活は、布教のために作った捏造話だ」

 人は、自分が嘘だと知っていることのために、報酬や称賛を投げ捨て、貴重な自分の命を懸けるようなことはしません。当時の弟子たちが艱難辛苦に耐え、殉教をもいとわなかったのは、たとえ世間から嫌われようと、拷問に掛けられようと、競技場で飢えたライオンに食い殺されようとも、「復活」の奇跡はあったと心から信じたからです。 
 聖書の特長の一つは、聖書筆者が “正直である” ことです。アダム、ノア、アブラハム、ダビデ、ソロモン、ペテロ、パウロなどの著名人についても、欠点や失敗などを隠さず、正直に記述しています。一般の「伝記」は違うでしょう。


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 反論4:「復活を信じるような人間は、単純で、頭が悪い」

 信仰とは、「証拠抜きで確信を持つこと(Wikipedia)」「特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと(デジタル大辞泉)」とあるように、証拠がなくても信じて疑わない単純思考が信仰であると思われているようです。
 無理もありません。確かに、単純さ(素直さ)の傾向が信仰者にはあります。

 しかしながら、この地球上で “信じる” 行為なしに生きている人間は一人もいないでしょう。
 例えば、朝、目覚ましが鳴ったら起きるのは時計を信じているからで、通勤のために電車に乗るのは運転士と電車と線路を信じているからで、スマホの電源を入れるのはその機能と通信環境と製造会社を信じているからで、昼、飲食店では出されるものを食べるのはコックとウエイトレスと食材を信じ、今だったらテーブルの上をアルコール除菌をしているはずだと信じているからでしょう。人は世の中の仕組みをいちいち確かめたりしないで、瞬間瞬間を “信じて” 生きているのです。


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 じつは信仰とは理性的なものですが、そう思ったことがありますか?

 よく「鰯の頭も信心から」などと揶揄されますが、当時の有識者である使徒パウロは「信仰」について、知的な説明をしています。

信仰とは、望んでいる事柄に対する保証された期待であり、見えない実体についての明白な論証です」(ヘブライ11:1新世界訳)
 「保証された期待」とか「明白な論証」というのは、単にそう思い込むことではなく、明白な証拠や合理的な論理に基づいて信じることを示しています。
 それゆえ聖書学者のモールトンとミリガンは、『ギリシャ語新約聖書語彙集』の中で、「信仰は望んでいる事柄の権利証書である」と訳すことを提案しています。

 では、どういう証拠があるかといえば、状況証拠は沢山あります。
 使徒パウロはその一つを簡潔に論じています。
言うまでもなく、家はすべて、誰かによって造られるものですが、すべてのものを造られた方は神です」(ヘブライ 3:4)
 パウロは論理的に神の存在を論じています。すなわち結果には必ず原因がある。❶家は偶然に自然発生したのではなく、建築家という造り手が造った。❷宇宙や地球や生物も偶然に発生したのではなく、造り手があるはずで、❸その造り手は神だと論じているのです。(詩篇8:3-8、ローマ1:19-20、第二ペテロ1:21参照)


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 復活したイエスを見て信じたトマスに、イエスが語っています。
 イエスはトマスに言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は幸いである」(ヨハネ20:29)
「見ないで信ずる者」とは、イエスを目撃した世代以降の人々、すなわち21世紀の現代人も対象にされています。私たちも見ないで信じることができるのです。

 わたしは、イエスへの信仰を勧めるつもりはまったくありません。
 そうではなく、人は目で見なくても、見えないものを信じることはできることを書きました。


※キリスト教が拡大した原因や理由の説明については、他にも傍証的なものが幾つかあるのですが、それはまた別の機会にしたいと思います。





《補足》―――――――――――――――――――――――――――――――――
「異端」とは、信仰や学説が、その時代に正統とされる主流派とは例外的に異なる少数派のことです。もし少数派の考えが常に間違いであるなら、ガリレオもコペルニクスも虚言学者として、異端審問にかけ、火あぶり刑に処すべきとなります。

宗教の「異端」は、今では「カルト」と同義語のように見なされています。しかしイエスが生前、弟子たちに対して、「あなた方は世から憎まれるであろう」と語った通り、最初のキリスト教集団も、その分派であるプロテスタント教会も、既存宗教からは「異端」とされ、憎まれ、迫害された歴史があります。(使徒24:14)

異端の教団は偽善的で、利得追求を隠している場合があります。サリンを撒いたり、人を殺したり、壺を高額で売り付けたりする反社会的な教団もあれば、カラオケや大学進学さえ禁じる独自の厳格な規律を設けて、倫理的に清い者だけが救われると教える独善的な教団もあります。信者は大抵、真理を求め、人格を磨くことに関心がありますが、組織や仲間に魅力を感じていると教団の実体は見抜けません。

ひとに迷惑を掛けない限り、考え方や生き方は個人の自由でしょう。絵画教室には、おぞましい絵を描き、下劣な言葉で他者を侮蔑して自分の人気を高めようとする変質的な生徒がいるかもしれません。一部にそんな“心の異常者”がいたとしても全員が腐っているわけではなく、絵が好きで、上手になりたい人が集まっているはずです。「一事が万事。みんな馬鹿だ、危険だ」と決めつけるのは軽率でしょう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



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物的証拠は消滅する

>人は目で見なくても、見えないものを信じることはできる。

そうですとも❢
電波、赤外線、紫外線、X線、γ(ガンマ)線、
素粒子、ブラックマター、細菌、ウィルスなど、
見えなくても、固く信じて疑わないものは沢山あります。

もっとも、ダニや細菌、ウィルスなどが見えたら、
そこに寝転ぶことや、呼吸さえできなくなります。
人の目が持つ機能の精度的な限界や、
曖昧さが幸せに繋がることもあるんですねぇ。
反面、UFOや宇宙人、幽霊や霊魂となると、
人によっては”懐疑的な思考”に囚われてしまいます。

“人は見たいものを見る”とはよく言ったものです。
自らの価値観に照らして、そんなことは認められない。
見たくない、知りたくない……。
そんな、個々の人々の意識こそが、
この物質世界を創りあげているのでしょうから。

キリストの復活……何の抵抗もなく信じるタイプです。
宇宙を構成する星々の爆発と合体に似て、
有機物の肉体は朽ち、生命エネルギーは解き放たれ、
再び結合して固まり、肉体を創造しても、
ぜんぜん奇妙だとは思わないタイプなんです。

それにしても復活したキリストを、
目で確かめられた人は幸いですね。
意識(波動)が同調していたんでしょう。
★思考(想念)こそが物質を出現させる★
科学が、それにフォーカスする日を待ち望んでいます。

スパンによるとしても、そもそも物的証拠は消滅しますよね。
祇園精舎や鐘に例えられたように、諸行無常ですから‥‥(笑)

2021/01/30(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

そういえば日本ではクリスマスは盛大に行いますがイースターをやる人は少ないですね。
私は子供の頃日曜学校に行っていましたのでイースターには慣れていました。
結婚式とクリスマスだけではなくイースターも行うべきではないかと思います。

聖人が復活すると尊敬されますが一般人が復活するとただのゾンビで忌み嫌われます。
但し、マイケル・ジャクソンには仲間扱いされます。

愛新覚羅

2021/01/30(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 物的証拠は消滅する

風子さん コメントありがとうございます^^)

 よくまあ、うまく長文をまとめるものですねえ。今回も感心しました。
 そうそう、むべなるかな、そうですよ。見えないが実在するものは沢山あります。自分の背中だって鏡がなければ見えません。アメリカ大統領だって画面で見ているだけ。地球が丸いのも映像で見ているだけ。引力だって、学校で教えられたので、そうか、そんな法則があるから物が落ちるのか、とリンゴを見た時に思うことがたまにあるだけです。
 新型コロナウイルスも顕微鏡写真を見て、こんな形かと思っていますが、じつは本物かどうか疑問が投げかけられているのだそうですね。このウイルスの登場も、裏にいろいろ怪しいことがあり、大惨事世界大戦が勃発したかのようにも思えます。
 
 UFOや宇宙人、幽霊や霊魂は、絶対に信じない人には絶対見えず、信じる人や受け入れやすい人には見えるようになっているのでしょう。その存在が地球の次元とは違うので、他の次元を絶対に信じないような人には無理そうです。しかし、なんでもっと明瞭に姿を現さないのか、いつも映像や姿がぼんやりしているので疑われるのに、と思いますね。
 
 「復活」については私がいた教団では「再創造」と言ってましたね。遺体は土葬で朽ちているか、火葬で灰になっているので、神が記憶をもとに原子を集めて同じ人間を造り直すのだと教えられました。
 復活したイエスは40日後に昇天したと書かれています。
 パウロが会ったイエスは肉体を着けていない霊的存在でした。イエスが幻像でパウロに現れたときは、他の者たちにはイエスの姿が見えなかったようです。天使や霊魂(や幽霊)と同じ状態になっていたのでしょう。
 こういう話はけっこう世界にありますから、唯物論者でない場合は受け入れやすく、そのほうが視野が広いとも言えそうです。(笑)

2021/01/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

確かに、なぜキリスト教は迫害されながらも広まったのか?という疑問が浮かび上がってきますね。
しかも、その理由が「キリストの復活を信じたから」となって、わたしの思考回路では「はあぁぁ!?」でした。
けれどもバーソさんの検証を読み進め、「見えないものを信じていることは身の回りにたくさんある」というところで、腑に落ちた感覚を得ました。
レストランではきちんと食器が洗われ、清潔な状況で調理され……そう信じています。そうじゃないととてもじゃないと利用できないというものがあって、何も疑問視せずに信じてしまってることがあります。
この理論は、キリストの復活云々だけじゃなく、幅広く活用できる考え方ですよね。
理詰だけの人が見落としているものはけっこうある。
ただ、「見えないものは、本当はある」というのは、あまり言いすぎると嫌悪感に転換しがちかもしれませんね。例えば「絆を大切に」なんてのも、絆は目に見えないけどある。だけどあまりにも強調されると、どうもうざったらしくなってしまう。
つまり、見えないものを信じる人は、やっぱりひっそりと信じ続けるのが一番であって、そのやり方が一番、伝わりやすいということではないでしょうか。キリスト教の広まりと一致します。
信じない人と戦うものではないのでしょうね。

2021/01/30(土) |URL|馬場亜紀 [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
 
 クリスマスもイースターも、本来はキリスト教起源のものではなく、異教徒の祭りに由来します。前者は冬至の祭り、後者は春分の日に関係のある祭りです。そもそも、祭りの日にどんちゃん騒ぎをする習慣は、最初の頃のキリスト教徒には無いのですね。
 ハロウィーンだって古代ケルト民族の祭りに由来します。渋谷に集まって騒いでいる若者はそんなことは知らないでしょうが。
 
 最近はハロウィーンが少し騒がれていますが、そういえばイースターはあまり流行ってないですね。
 クリスマスのようにプレゼントやケーキ、ロマンチックなデートやホームパーティのイメージがないせいと、商業主義がイースターをまだうまく利用できてないからでしょうかね。

 ゾンビについては、土葬をやめたら怖ろしくないと思うのですが、火葬にすると復活のときに困るという信仰があるせいでしょう。しかし遺体が土の中で腐っていると思うのも怖いのですが。
 
 ゾンビと言えば思い出すのが映画『バタリアン』です。これは何度か観ましたが、面白かった記憶があります。今はヴァージョン5もあるようですね。
 https://www.youtube.com/watch?v=lWYg-9biQHs 

2021/01/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

馬場亜紀 さん コメントありがとうございます^^)

> その理由が「キリストの復活を信じたから」となって、わたしの思考回路では「はあぁぁ!?」でした
 ああ、そうでしたか。そうであれば、この記事は私の意図通りに読まれたと思います。
 とかく「信仰を持っている」と言うと、それは人間性が弱いからだとか、失恋でもしたのか、と言われます。私は何度かそう言われました。しかし違うんですよね。私がかつていた教団では、宇宙の真理や創造者のことを知りたいと思って、聖書を学ぶ人のほうが圧倒的に多かったと思います。

 新約聖書を読むと、1世紀当時のクリスチャンの信仰はすごいですよ。迫害されてエルサレムから追い出されると、これで他の土地でも「真理」を宣べ伝えることができると喜ぶのですから。
 亜紀さんは、家に伝道者が訪ねてきて、しつこくて、嫌な思いをしたことがあるのでしょうかね。
 人は、自分がこれは素晴らしいと思うと、他の人にも伝えたくなるものですが、嫌いな人や関心のない人には迷惑になるでしょうね。

 信仰について強要するのは(あるいは逆に、やめろと言うのも)間違っていますが、新約聖書では、イエス自身が「全世界に宣べ伝えよ」と弟子たちに命じているので、異端派の中には真面目にその通り実行しようとしている教団もあるのです(主流派の教会は、その命令を無視していますが)。
 しかし伝道者の報恩がイヤだったら、伝道者に「わが家は『訪問拒否』にしてください」と言えば、基本的にはもう二度と訊ねてこないと思いますよ。
 
 ですが、確かに「絆」はあまり言いすぎると気持ち悪く感じるので、信仰についても、あまり言われると気持ち悪いでしょうかね。
 星の王子さまに、キツネが言います。
 「ものごとは、心で見なくてはよく見えない。いちばん大切なことは、目に見えない」と。
 信仰の話ではなく、“信じる”ことの話なら、どうでしょう。
 恋人の愛を信じる。親子の愛情を信じる。仲の良い友だちの友愛を信じる。人類普遍の博愛を信じる……そんな話なら大抵の人は好きなはずだと思います。
 
 じつは今回の話は、あるブログから突然、“18禁合計14,5本も連続して書かれたので、それを意識して書いています。特に《補足》のところがそうなんです。

2021/01/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

>キリスト教が拡大したのは、弟子たちが、イエスは復活したと
>信じたからで・・・
なるほど、そういえば他宗教で「復活」は耳にしません。
キリスト教の拡大に「復活」が大きな力になったのでしょうが、
復活を「見ないで信ずる者」をひきつけてやまないものが
キリスト教にはあったのでしょう。
>人は目で見なくても、見えないものを信じることはできる
オーストラリア大陸は見たことないですがその存在はみな信じます。
進化の過程での見えざる大きな存在の介在も信じ・・・たいです。

日本ではなぜキリスト教が広まらなかったのでしょうか。
ザビエルが書き残した手紙によると、日本人の質問にどう
答えたらいいのかと悩んでいます。
日本人たちの質問は、彼ら(日本人)自体は洗礼を受け祝福されますが彼らの先祖たちは洗礼を受けられず地獄に落ちるのかと。
ザビエルはそうだと答えたらしいですが、こういった宗教感への戸惑いもあったのでしょうね。
宣教師たちは自分では意図せずとも、植民地獲得の先兵として働き、結局秀吉によって追放されてしまいました。
禁教が解かれた明治以降もキリスト教信者は増えていません。
なにか理由があるのでしょうか。

2021/01/30(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 はいはい、なるほどなるほど、、エリアンダーさんらしい学術的なコメントです。
 
> 復活を「見ないで信ずる者」をひきつけてやまないものがキリスト教にはあったのでしょう。
 そうだと思います。そもそも原始キリスト教はユダヤ教の一派(異端)として始まりました。ユダヤ教徒は生まれながらに全員がエホバを信じる有神論者です。神の存在を疑う者や「十戒」や律法をないがしろにする人間など一人もいません。
 キリスト教は、そのユダヤ教を土台にしています。ですからキリスト教徒とはそもそも神を信じていている人間で、ユダヤ教よりキリストの教えのほうが優れていると思ったので、キリスト教に転向したのだろうと思います。私も、聖書の宗教は他の宗教より優れていると思いましたから。
 
 何が優れていると思ったのかと言えば、ユダヤ教は「律法」という禁止条項満載の宗教でしたが、キリスト教は二つの愛だけを教える宗教でした。
 あるとき、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねます。「律法の中で、どの掟がいちばん重要でしょうか?」。律法には合計で613もの数ほども沢山あったのです。
 イエスは、二つの戒めを挙げます。

 1.「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主エホバを愛しなさい」
 2.「隣人を、自分のように愛しなさい」
 ユダヤ教とキリスト教とでは、視点と目的が違います。
 ユダヤ教はマイナス志向で、他者にしてはいけないことを命じて義人になれと教えますが、キリスト教はポジティブ志向で、他者にしたほうがいいことをして善人になれと教えています。
 
 このイエスの教えに共感した者がキリスト教に入るのですが、ところがクリスチャンになって努力したからといって、なかなか立派な人間になれるものではありません。リンゴ園には腐ったリンゴも一部にあるように、教会の中にも問題児はいるのです。
 
 特に組織が強大になると、組織は必ず腐敗して、神父や大司教といった指導者階級の中にも腐った人間が出てきます。宗派争いをしたり、戦争の勝利を祈ったりする教会もあります。
 そうすると、偽善者だとか邪悪だとか一方的に非難されます。それは事実であることもありますが、必ずしもキリスト教の信者全員がそうではないと《補足》に書いた通りです(この世の中でも同じようなものじゃないかと思います)。
 
> 進化の過程での見えざる大きな存在の介在も信じ・・・たいです。
 はい、私もそれでいいと思っています。生物は進化したと思ってもいいですが、ただし、たまたま、うまい具合に生命が発生して、それが偶然にうまいこと進化したのではなく、そこには見えざる力と意思が関係していると思っています。そうでないと科学的な確率的にもあり得ないと思っています。
 
 切支丹の信仰と真理への探究心は、たいしたものです。現代の一般キリスト教信者の信仰とは次元が違います。切支丹の研究熱心さについては、エリアンダーさんのご承知のように、イエズス会の宣教者さえ驚かせ、本国の教会本部への手紙には、よほど知識と信仰のある宣教者じゃないと日本では任務が難しいだろうと書き送っている通りです。
 
 「先祖たちは洗礼を受けられず地獄に落ちる」というのは、庶民の疑問であり、僧侶の反論でもあったようですが、その点については現代でも似たような疑問があるのです。
 すなわち、いま伝道者が家から家へと伝道して回って、キリストの福音を宣べ伝えていても、今まで福音を聞かないままに死んだ昔の人はどうなるのか、彼らは福音を聞いてないのだから、救われないで、不公平じゃないか?
 しかしその疑問には、だから「復活」がある。死んで眠っている間は意識がないので、将来のいつの日か、よみがえって来る者は、ちょうど夜寝て朝起きるようなもので、瞬時に目が覚めるようなものなので、不公平ではないというものです。
 
> 禁教が解かれた明治以降もキリスト教信者は増えていません。なにか理由があるのでしょうか。
 その点については、日本人の宗教観があると思います。
 山本七平は『ユダヤ人と日本人』のなかで、日本人は一神教教徒ではない日本教徒で、どんな宗教でも教えでも何でも受け入れる性向があるからだと言っています。何でも受け入れるとは、何でも真剣に信じてないと言っているようです。
 遠藤周作は『沈黙』の中で、日本の土壌はキリスト教が根付かずに腐ってしまう泥沼のようだと神父フェレイラに言わせています。
 日本人はカイゼンの得意な民族です。なにかを受けとめると、それを全く異なるものに変質させてしまいます。日本人は遣唐使の時代から、いいと思うものを取り入れ、自分たちに合うように改変しています。漢字にしても、読み方を変え、仮名文字を生み出し、和製漢字さえ生み出しています。日本の仏教はインドの仏教とも支那の仏教とも違っていて、葬式仏教と揶揄される通り、先祖崇拝などを取り入れた日本独自のものになっています。
 あと、立地的に島国のせいと、ヨーロッパではキリスト教は王の支配に利用したほうがいいされましたが、日本では支配の敵だとして禁じられたのも大きいのじゃないでしょうか。
 
 私が以前よく思ったのは、伝道で会う家の人たちはほとんどが無神論者に思えるのですが、正月には神社に初詣に行くのはなぜか、葬式は仏教でするのはなぜか、結婚式はキリスト教でするのはなぜかということで、根本の理由はやはり一神教のような信仰心が無いせいだろうと思っていましたね。
 いま思っていることを言えば、「日本人は自然界の万物に神々が宿るという神道的な意識があるのも原因のように思いますね。

2021/01/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

怒られるかも知れませんが、多くの信者が「麻原彰晃」を信じたのは巧みな説教からではありません。空中浮遊と言う奇跡を見たからです。
ジャンヌと言うか弱い少女が聖女になれたのも、神のお告げのままに「オルレアンの戦い」に勝って神の奇跡を証明して見せたからです。
支持者が議会を襲うほどトランプ人気が過熱したのも、コロナをたった3日で治すと言う…常人にはあり得ない奇跡を目の当たりにしたからです。
人間は経験値では計れない現象を目にしますと、脳の認識機能が不全をきたし「この世に非ざる者の仕業」として処理しようとします。
しかし物理学者に言わせると、人が認識している通常の現象そのものが錯覚であり…本当は超高速で動いている地球の上に立っているのに止まっていると感じ、ミクロ単位では常に流動(実際は粒子が高速で流れてる)しているのに、これは個体だと思い込んでいる(笑)
まぁそれでも敢えて言うならば、特異体質を持つ人間が稀にいて、3日後は大げさでも、心肺停止状態から蘇る人もいますし、トランプ氏の様に暴飲暴食、深夜にツィートする不摂生をしても何ともない…異常に強い免疫機能を持っている人もいます。そう言えば自分の友人も、カバが水浴びする様に酒を飲んでもケロッとしていました(笑)
ただそうした特異体質の人は、ダムの壁(身体)が懸命に水圧に耐えている様な状態で、何かの拍子に遺伝子が決壊したら簡単に死んだりするそうです。
なのでもしトランプが死んだら、その遺体を強力な免疫遺伝子の研究材料として仇敵の「ファウチ博士」の元に送ってやって欲しいです。
その身体からどんなウィルスも撃退する遺伝子が見つかれば、将来に何が起きても有効な感染症対策のワクチンが作れるかも知れません。
せめて遺体になって役立てば、人種差別で死んだり、議事堂襲撃で犠牲になった人々への懺悔になり、ドナルド君も天国に迎え入れてもらえるかも知れません(笑)

2021/01/30(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 麻原の空中浮揚は、どうも必死な形相で自分で地面を膝で蹴ってジャンプしているようでしたが、弟子たちに怪しげなヘッドギアを着けさせて脳波をコントロールする修行法はうまくいって、多くの人が神秘体験をしたのですかね。そうであればあんな犯罪を犯すようになるのは、むべなるかなと思えます。
 
 ファティマのマリアとかサイババの金砂といった奇跡の他に、日本では昔、北村サヨや出口なおの神懸かりなど、新興宗教にはその種の現象が付き物でしたが、そういう不思議なことがあったので、字も習ってないので書けないような田舎の女性教祖の話でも大勢の人が信じたのでしょう。
 これらは、キリスト教の場合も奇跡があったと信じられたので、新興の原始キリスト教会が強力なローマ教会へと拡大していったのだろう、とする説を増補するような事例じゃないですか。
 。
 いろいろある宗教の中で、どれを信じたらいいか。
 イエスは「悪い実を結ぶ良い木はなく、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」と言いましたが、教祖や多くの信者たちの行ないが立派かそうでないかで、かなりの程度、見極めることができそうです。(ルカ6:43-45)ちなみに私は神秘減少や個人の行状などは考慮に入れません。もっぱら教えが合理的で納得できるかどうかで判断します。
 
> ミクロ単位では常に流動(実際は粒子が高速で流れてる)しているのに、これは個体だと思い込んでいる(笑)
 実際、そのようですね。肉体は細胞の集まりで、細胞は分子の集まりで、分子は原子の集まりで、それら原子は接着剤でくっついているわけではないのに、一人の人間と個体としてまとまっている。原子の中は99.999999%が空間だそうで、その空間物体がよく人間の眼で見えるものだと思います。
 人間が場所移動しているのも、24コマ撮りのフィルム映画と同じく、一瞬一瞬で人間を構成している原子の集まりが移動しているのを、人間の眼では動いているように見えるそうです。
 この世の現象は「空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」と言った聖書の言葉はネガティブな人生観ではありますが、長い目で見れば、そのような一面もあり、まさに至言です。(伝道者の書1:2〜3)

 しかしワクチンについては日本の製薬会社はちょっと情けないですね。普段から開発の予算がないからだと言うのですが、仮にも日本は先進国の仲間に入っているのですから、もっと意地と気合を見せてほしかったと思います。
 アビガンは海外では効果があると言われ、無償提供されていますが、なぜ日本では厚生省から認可が下りないのか。
 それはアビガンを作った富士フイルム富山化学は、天下りを受け入れていないからだという話がネットにありました。さもありなんと思えますが、そうでないとしても、日本の役所の何でも遅いこと。歯がゆいを通り越して、呆れて、遺憾の意を覚えます。
 
 トランプについては、もう終わった感がして、あまり関心がなくなりました。あとはバイデンがどんなことをするかのほうに興味があります。
 しかしそれにつけても日本の防衛力と防衛意識です。先日、中国の海警の武器使用が法律で認可されたことのほうが今のところ気になります。海上保安庁はいまごろ神経がピリピリしているでしょう。撃たれても撃ち返せないでしょうし、相手は元軍艦の船体を使っているので、ぶつけられるだけでも沈められそうです。こんなことで戦争勃発になったら、向こうの思うつぼになるので、これはかなり危ない話だと思うのですが。

2021/01/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

裏切りのユダからの視点

裏切りのユダ。
最もイエスキリストに関わった人物
彼無くして新約聖書は完成せず
彼が裏切ってこそ新約は成立する

彼が居なければ復活もない
キリスト教そのものが崩壊する

余程 彼の存在が都合が悪いのか
ユダは地獄に堕ちただの簡単に括っている
そもそもこれが大いなる矛盾なのだ

けして彼ユダを軽視してはいけない
彼はキリスト教の概念を完成させる最重要人物なのだから。

2021/01/31(日) |URL|aozoratenki [edit]

Re: 裏切りのユダからの視点

aozoratenkiさん コメントありがとうございます^^)

 はじめまして。ようこそ。
 
 話を逆に言えば、イスカリオテのユダが裏切ったために、イエスが刑柱に架けられて殺されることになり、そしてイエスが死んだがゆえに「復活」が預言の成就として生じ、人類を救う「贖い」の道が開かれたということですね。

 本記事のテーマは、《イエスの死後、キリスト教が拡大した主な理由はイエスの「復活」を弟子たちが信じたからだ》と論じるものですが、aozoratenki さんの言われるように、「キリスト教の概念を完成させる最重要人物」は誰か?と言えば、確かに、ユダがいちばん関わったということで間違いないと思います。

 特にユダが裏切ることについての預言は、
「わたしのパンを食べている者が、わたしに向ってかかとを上げた」(詩編41:9)
「その職は、他の人に取らせよ」(詩篇109・8)
 などがあります。イエスがメシヤであることを示す預言はすべて成就したと言われており、それゆえに弟子たちがイエスを信じたということもありそうですね。

2021/01/31(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2021/02/01(月) || [edit]

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バーソさん、こんにちは♪

キリスト教拡大の理由が「イエスの復活」にあるという視点は、今まで思いつきもしませんでした。
確かに、そのぐらいインパクトがあることが起きなければ、何か物理的な見返りもない、茨の道を歩む、命懸けの布教活動のモチベーションなど到底保てそうにありません。

>見ないで信ずる者は幸い。

ぼくは何か特定の宗教や誰かを信仰しているということはないのですが、「見えないもの」を避けがたく感受していることを誤魔化すことができません。
つまり、「信じる」「信じない」以前のことと言いますか、靴を見れば疑いの余地なく履いて使うものと自動的に認識されるように、「見えないもの」がいつなんどきも「ここ」にあることを認識せざるをえません。
きっとそれは、幸運なことなのかもしれませんね。
そのことだけでも、大変にありがたいことなのだと思わなければいけませんね。

2021/02/01(月) |URL|友資 [edit]

Re: バーソさん、こんにちは♪

友資さん コメントありがとうございます^^)

 二千年前のイエスの弟子たちが、たとえ殺されても永遠の命が与えられると信じた信仰は、ムスリムが聖戦と称してテロを行なう場合や、爆弾テロで自死するのと似たようなものです。信仰は悪く働く場合もあるのですね。
 プロテスタント教会のなかで、イエス・キリストの再臨が迫っていると信じる諸教派をアドベンティスト派(再臨派)と言います。復活したイエスが「世の終わりの日」に再び到来して、人々を裁き、良い人をイエスが統治する千年天国に招き入れ、悪い人を地獄(墓=永遠の滅び)に行かせると言われています。
 現代の主流派の教会はそんなことは信じていません(信じていても遠い先だと思っています)が、この再臨派の信仰はじつは1世紀の原始キリスト教とほぼ同じものなんですね。
 有名どころでは、セブンスデー・アドベンチスト教会、末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教)、エホバの証人(ものみの塔)の3つがあり、それぞれの信者たちは、千年王国にふさわしい者となるべく、世の終わりを宣べ伝えることと、自分の人格を磨くことに熱心になります。
 
 カルトと呼ばれて批判されることもありますが、オウムなどとは次元が違います。他者には危害を加えることがなく、現世ご利益を望まず、イエスの至福の千年王国で生きることを望みます。
 おかしな信仰だと思うでしょうが、聖書の記述が絶対に正しいと信じるなら、そう思うのが、まあ、当然なんですね。
 私もかつては聖書を全面的に信じていたので、聖書が神の霊感の書であるなら、イエスの千年王国は到来するのが当然だと思っていました。いまでは聖書自体もエホバという人格神も信じなくなったので不思議なものですが、宇宙の創造者という存在については相変らず信じています。
 
 この世界には見える次元のものと見えない次元のものがあり、人間は目に見えるものしか見えないようになっていると思っているのですが、それを信じる人と信じない人の違いは、結局はその人の心に“霊的な感知機能”があるかどうかだと思っています。
 友資さんはそれを“見た”わけなので、並の地球人とはちょっと違う人種のようですね。(^^)/

2021/02/01(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「反論2」まで読ませていただきました。
私は長文は苦手で、以前にも仏教関係で良い方がおられたのですが、長文でお付き合いが続きませんでした。いつも途中まで読んでコメントしていました。
「宗教」と言っても、その歴史を見るか、他の宗教との違いを見るか、信仰の対象を見るか、信仰の有り方を見るか、その他いろいろの視点があって、その視点によって捉え方が異なってきます。
バーソさんはどちらかと言えば歴史的な視点で書かれていますが、実は私はどの宗教についても歴史などのその背景については全く知らないので、コメントが浮かんでこないのです。一言書くとすれば、「信仰」そのものは本来は歴史などの他の要素とは関係がないように思っています。

2021/02/02(火) |URL|極楽トンビ [edit]

Re: タイトルなし

極楽トンビさん コメントありがとうございます^^)

 誰でも長文は苦手ですよね。私も、自分の関心があるものや、面白いことが書かれていれば、最後までちゃんと読みますが、そうでなければ短文でもスルーします。
 
 私も宗教の“歴史”には関心がないですね。宗教はその“教え”だけに関心があり、教えを説いた人物や信者のことなどについてはほとんど関心がありません。
 今回は、宗教を歴史的な観点から見た、というようなものではないのです。一般には、信仰とは、“無いものを有るかのように思い込むこと”と考えられています。易が 当たるも八卦、当たらぬも八卦と言われる通り、宗教も嘘か真実か分からない。信じる者にとっては真実だろうが、信じない者にとっては何の意味もない、と思われています。
 
 しかし、そうではなく、宗教とは理知的なものだ。その証拠に初期キリスト教は、教祖は殺され、信者はわずか数十人で、しかも国家的な大迫害を受けたのに、世界最大の宗教になった。
 そうなった原因は、イエスの復活を信じたからだ、という論法で書いたつもりでした。 
 ですからイエスへの信仰を励まそうとして書いたのではないのです。
 そうではなく、人は目で見なくても、見えない者を信じることは出来る、と最後の結論で書いたのですが、そこまで読まないと意図は分からないでしょう。
 短文にすれば、こういう論理は説得力が薄れるので、こんな長文になりました。私のブログはおおむねこのような長さなので、読んでくださる常連の方はじつに貴重な存在で、ありがたいことだと思っています。
 
 極楽トンビさんには、半分でも読んで、しかも感想まで書いていただいて恐縮です。特に感想がないときは無理をしないでいいですからね。心の負担になると申し訳ないですから。ありがとうございました。

2021/02/03(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2021/02/07(日) || [edit]

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