「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 全能者は《自分が持ち上げられない石》を創れるか? 


我々は神を罵殺する無数の理由を発見している。
が、不幸にも日本人は罵殺するのに価するほど、全能の神を信じていない。

          ―――――芥川龍之介『或阿呆の一生・侏儒の言葉』
               ※罵殺(ばさつ)とは、ひどくののしり、けなすこと。


聖書の神は、イスラムのアッラーと同じ神で、「全能の神」と呼ばれている。
英語は “Almighty God” だが、“God” を省いて “the Almighty” としても通じる。
なぜなら、神以外に全能者はいないと思われているからだ。


無神論者が「全能の神など存在しない」と言うときに持ち出す質問がある。

 全能者は《自分が持ち上げられない石》を創ることができるか?

これは「全能のパラドックス」として知られている。
すなわち、
 (1)そのような石を創れないなら、全能ではない。
 (2)創れるなら、持ち上げることができないので、やはり全能ではない。
 (3)したがって、「全能なる神など存在しない」と結論される。

この矛盾を解かないと教会や有神論者は立ち直れなくなるのと、知的遊戯として
も面白いので昔から解答がいろいろ考えられた。

   sije7.jpg
   
Rene Magritte ”La chateau des Pyrenees“ 1959


❶全能者でも論理的な矛盾を犯すことはできない。

(1)全能者は本質的に全能であり、全能でない者にはなれない。(2)全能者であっ
ても論理的に不可能なことはできない
。また、そのようなことを要求されること
もない。(3)ゆえに、そのような石を創れなくても全能者でなくなることはない。
一休さんも「ならば、まず屏風の中から虎を追い出してください」と述べている。


❷全能性は、常に万能であることを要求されない。

(1)全能者は、全能性の一部を一時的に制限し、持ち上げられない不動な石を創れ
る。(2)しかし全能なので、後からいつでも、石を持ち上げられるようにすること
もできる。(3)つまり、全能者は自分の意思で、全能性の範囲を自由に制御できる
これは警察庁が、国賓の通行では赤信号を一時的に青に変更できることと同じだ。


❸全能者は、論理的に不可能なこともできる。

(1)全能者は論理的に不可能なこともできる。(2)全能だから、持ち上げられない
石を創ることができる。そして、(3)全能だから、その石を持ち上げることもでき
る。古代の中東の人ヨブは信仰により言った。「私は知った。あなた(神)はすべ
てが出来ることを、そして、どんな計画も成し遂げられることを」。ヨブ記42:2 


❹神の全能性を人間が定義するのは冒涜である。

人間が《全能者とは何々である》とか《全能者は何々できない》などと神の全能
性を定義するのは、全能者に対する冒涜であり、そんな疑問を考えることは悪だ

「全能者は、そんな不遜なことを言う人間のために地獄を創り給うた」(←冗談)


❺理論的に正解が出ても、実証的には神がどうするかは分からない。

論理的には人間があれこれ推論できても、実際に全能者がどうするかは人間の理
解と想像の範囲を超えているはずだ。全能者の意思を推論するのは意味がない
「神は地のはるか上に座し、地に住む人間をイナゴのごとく見る」イザヤ40:22


❻全能者は愛と自由意思により、そんな石は創らない。

(1)全能者は全能なので何でもできる。しかし、その前に全能者には《自由意思》
と《愛》があるはずだ。(2)創造者の意思は、常に被造物の益になるためにだけ働
く。(3)したがって、全能者は自分の全能性を証明するために、自身が持てない石
を創るような無意味なことはしない。創れないのではなく、創る意思がない
のだ。
この案は「全能のパラドックス」の問題に玄関払いを食らわせ、やや逃げている。

自由意思は人間が持つ最大の特権だが、人間の創造者は完璧な自由意思と行使権
を持っている。自由意思に大いなる智慧と力と愛を加えれば「全能者」と同義だ。


❼全能者は意識により「できること」も「できないこと」もできる。

(1)すべては《意識》から始まる。宇宙は《大いなる意識》である全能者により
創造された。全能者は、どんなことでも思うことができるので、人間が「持てな
い石」を考えられるのであれば、思えることは、なんでも現実化できる
。イエス
も「カラシの種ひと粒ほどの信仰でもあれば、山をも動かせる」(マタイ17:20)
と述べた。考えたことは現実化するのだが、人間の場合は疑うので、できない。

また、神は人間に代理体験をさせているとも考えられる。
(2)全能者には体がないので、苦しい楽しい、寒い暖かい、軽い重いなどの体験は
できない。そこで、全能者は自分の分身(或る宗教では人間を「神の子」と呼ぶ)
を創って、代理体験をさせることにした。創世の以前は神しか存在してないので、
全能者は自身(エネルギー)を材料にし、物質化(E=mc2)して、人間を創った。そ
れで神の分身である人間が体験することは、本家の神も共有できることになった。

(3)したがって、人間が重い石を持ち上げられない体験や、無念さの感情や、どの
ようにしたら持ち上がるかを考える面白さなどは、全能者も同様に味わっている。


                 


どうでしょう? 芥川龍之介が言った「神を罵殺する無数の理由」はさておいて、
全能者の存在を否定する論理的根拠は強力でしょうか。




※❶から❺はWikipediaを参照。この問題は難しいですね。もっと良い解答をお待ちしています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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無重力視点

「全能のパラドックス」は、三次元視点。
重力の呪縛に捉われた考え方じゃないでしょうか。

“宇宙創造”の視点に立てば、全能はマクロ的な永遠ですから、
人智(思考)は超越している。
故に、やっぱ⑥ですねぇ。

“全能者の意思を推論するのは”……。
意味がないとは思わないにしても、
その域から観れば、ウィルスの呟きに似ているかも……(^_^ ;)

2019/09/14(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

全能者が善人であれば問題ないのですが悪人だったら大変なことになりそうですね。
私がもし全能者だったら時間を止めてみたいです。
止めている間に38度線の北の国からミサイルを撤去したり。竹島に旭日旗を立てたりしてみたいです。
小さいことでは女湯にもお邪魔してみたいです。
もし全能者がいるのであれば天変地異も止められるはずですから、そんな人はいないのでしょうね。

全能者は全能者ではない人になれないので全能ではないというのは面白いですね。

愛新覚羅

2019/09/14(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 無重力視点

風子さん コメントありがとうございます^^)

> 「全能のパラドックス」は、三次元視点。
重力の呪縛に捉われた考え方じゃないでしょうか。

 いやあ、さすが、風子さん。見事に、短い言葉で答えています。そうなんです。じつは私もそう思ったので、最初は、こう書き出したのです。

(1)石を持てるとか持てないの話は、物理法則が働く物質宇宙を前提にしている。全能者は、この物質世界と、人の目には見えない高次元世界の「創造者」でもあるので、創造者は自分の創った物理法則に拘束されることはない。
 しかしながら、この命題は、あくまでも物理的な世界で神を擬人化した設定となっていて、人間の姿をした神が自身で持ち上げられない石を創れるか?という話なので、《創造者は重力の法則を無効にできるので可能だ》と言ったら話が終わってしまい、無神論者には納得されないような気がしました。

> “全能者の意思を推論するのは”……。
意味がないとは思わないにしても、
その域から観れば、ウィルスの呟きに似ているかも……

 よく短時間でこんなことも思いつきますね。私も同じことを考えました。聖書に「神は地に住む人間をイナゴのように見ている」そして「神から見れば人間の千年は一日のようだ」という聖句があるので、神のすることを極小な人間が推し量ることはできないと論理展開することもできるのですが。

 この話はネタがなかったので気軽に書き出したのですが、もっと時間を掛けて熟考すべきでした。どなたかが名案を出してくださればいいのですが。

2019/09/14(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 なるほど。自分がもし全能者だったらどうするか。誰でもこんなことを考えますね。教授は「時間よ 止まれ」ですか。矢沢永吉ですね。歌詞は全然覚えてないですが、メロディは名曲でした。

 で、真っ先に日韓問題の解決ですか。いいですね。しかし竹島はひどい武力侵略でした。1952年の李承晩ラインで、韓国海軍により40人以上の日本人漁民が死傷させられ、漁船は3百隻以上拿捕され、4千人抑留され、釈放するには、日本の牢獄に入っていた凶悪犯を釈放せよ(韓国に戻すな)とか、在日朝鮮人60万人だったかに生活保護などの特権を永久に与えよと李承晩から要求され、それを無理に呑まされたのです。当時は自衛隊がなく、日本は一切の抵抗なしでした。
 いまなら、文さんと金さんに原因不明の失語症になってもらう案がいいような気がしますが。(笑)
 で、突然話が変わって、女湯ですか。あはは。最近は銭湯を見なくなりましたが、お年寄りばかり来ているのじゃないですか。

 神が成れないことはただ一つあり、それは神でなくなることだそうです。それ以外は何でもできるのですね。
 全能者は、地球人全員を善意の人にして世界から戦争をなくすこともできるのですが、それでは人間の自由意思をなくしてしまうことになるので、そいわば内政干渉になります。神は、そんな人間の意欲と努力と向上心と充実感と達成感を不要にするような余計なお世話はしないのですね。

2019/09/14(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/09/14(土) || [edit]

全能者はかような石を創ることができる

これは面白いですね。「もっと良い解答をお待ちしています」とのことですから、量子力学上の観点から「全能者はかような石を創ることができる」としてみました。それを説明しましょう。なお、「シュレーディンガーの猫」についてはウィキペディアを参照ください。

全能者は、人間が見た目では寸分も違わない「持ち上げられない石」と「持ち上げられる石」を重ね合わせて創ることができる。これは「シュレーディンガーの猫」と同じで、生きている猫と死んだ猫の状態が重ね合って存在しているという量子力学上の存在として知られており、論理矛盾をきたさない。
観測者である人間がその石を眺めたとき、あるときは持ち上げられないように見えても、あるときは持ち上げられるように見える。観測者人間の目はその程度の狭い範囲でしか物が見えない、いいかげんなものであるが、全能者はそれを同時に見ることができるのである。

量子力学上の解説が定まりきらない「シュレーディンガーの猫」ですが、全能者であれば、対象を観測するという知覚を働かせる必要は全くないですから、重ね合わせの存在として認識可能です。それが大自然の原理であり、大自然の原理=全能の神と理解すれば、「全能者はかような石を創ることができる」と結論付けられると思うのですが、いかがなものでしょうか。

2019/09/14(土) |URL|永築當果 [edit]

Re: こんにちは

[太字]鍵コメさん コメントありがとうございます^^)

 有神論には「神がなし得ることに不可能はない」という前提が含まれていて、だから「全能者」と言われるのですが、これは一般的には「論理的に正しくない」と考えられています。
 でも、創造者ができないことは一つだけで、それは「自らが神でなくなること」だけだそうです。
 ということは、神はそれ以外のことなら何でもできるということになり、そうであれば《自らが持ち上げられない石》も創れないといけないのですが、ここから「クレタ人はウソつきだとクレタ人が言った」と同様のパラドックスが始まるのですね。
 しかし理論的なパラドックスが存在するのは、この世界がじつは矛盾を抱えていて、それは人間が解決していくための課題として置かれていることを表しているようにも思えます。

 いわゆる人間が認知している論理とか法則というのは、この地球がある物質宇宙だけに通用しているわけで、もし物質の構造とその物理法則などが全然ないか、それらが全然異なる別の世界があれば、直線が曲線に見えたり、重力や引力、距離や時間の概念もなくなり、過去や未来にも瞬間移動もできそうです。
 ただ、この命題は「石を持ち上げられるか持ち上げられないか」という物質世界を前提にした思考実験の話なので、やはり❶の「全能者でも論理的な矛盾を犯すことはできない」という解答が一番合理的な帰結なんでしょうか。

2019/09/14(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 全能者はかような石を創ることができる

永築當果さん コメントありがとうございます^^)

 お、なるほど、これは面白い。まったく視点を変えた新解答ですね。
 ミクロの世界に見られる量子力学的な現象をマクロの物質に当てはめるとすると、観測者が箱を開けるまでは、「生きているネコ」と「死んでいるネコ」の二つの状態が重なっていることになる。
 そうであれば、観測者である全能者は極小から無限大までの全ての現象を認知できるのだから、「持ち上げることができる状態の石」と「持ち上げることができない状態の石」が重なっているのを認識できるはずで、両方の石が重なっているのならこの命題は思考的に解決できる。これは観測者を人間ではなく、神としたのがミソのようですね。

 後にアインシュタインが挙げた月の例えは、観測者が月を見ていないとき、空には「月がある状態」と「月がない状態」が重ね合って存在しており、観測者が空を見上げたことによって、初めて「月がある」「月がない」というどちらかの観測結果に決まるのではないか、というものでした。でも普通に考えれば、観測者が空を見ていないときであっても、月の状態は既に決まっているはずですから、観測しなくても天文学的知識によって月の状態を確定的に予想することが可能なわけで、アインシュタインはコペンハーゲン解釈を終生に渡って否定したとWikipediaにありました。
 
 興味深いことに精神世界では、人間が起きているときはいつも通りの見慣れた部屋と家具などがあるが、寝てしまったら、すなわち「意識」がなくなったら部屋と家具などは消滅してしまい、翌朝、人間の目が覚めたそのときに、また元通りに部屋が成っているという話があります。
 つまり人間が見ている世界は「意識」が創ったイマジネーションの世界だというわけで、映画「マトリックス」のコンピュータで作った仮想現実の世界と似ていますが、「胡蝶の夢」の荘子のように世俗の人生を客観的に見ることができたら人生はもっと充実したものになりそうですね。

2019/09/14(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは。

バーソさん、こんばんは
なんか、面白そうなので
コメントさせて頂きます

最初記事を読む前に思ったのは、

全能者は、人間の体をまとい、
石を持ち上げられなくなることも
出来るが、
その体から抜け出すと、
軽々と石を持ち上げられる
これで、持ち上げることが
出来ない全能者と
持ち上げることが出来る全能者が
存在することになると思いました

バーソさんの記事にある
全能者は自分の意思で、
全能性の範囲を自由に制御できる

を読んで納得しました

それと、そのあと、
ピラミッドのことが思い浮かびました

あのピラミッドは
誰も持ち上げられない
しかし、分割すれば
持ち上げられる
一気には持ち上げられないけど
分割すれば持ち上げれる

この二つが、すぐに浮かびました

石の話とは少しずれますが、
わたしは、論理的に
不可能なことを要求されると
それは、初めから
出来ないことであり
出来ることを求めていないと
思ったことがあります
通常人から、頼まれることは、
出来ることを前提にしたことが
頼まれるのが筋です
だれがやっても出来ないことを
頼むのは、それはただの
嫌がらせだと思いました

なので、神は、
方法を残していると思います
誰にも出来ないことは、
初めからやらせない

なので、全能者はなんでも出来る

それは、自分が出来ることを日々するから
出来るようになる
これが、わたしの思った確信です
出来ないことは初めからやらない

あと、一つ、
超能力と
霊能力と
特殊能力というのが
あるとわたしは思っています
そのどれかの能力をつかえば、
石は持ち上げられるのでは
ないでしょうかと思いました
結局、持ち上げられないものでも
持ち上げられる
何か方法があるのではと
思いました

ちょっと
ずれてしまいましたけど
こんな感じのコメントで
結ばせて頂きます

2019/09/14(土) |URL|真 [edit]

マグリットの『ピレネーの城』

芸術に疎く、美術展に行っても足早に見て回る僕が、唯一、凝視した作品です。

 って、凝視、というか、気が付いたら、その場で、5時間以上経っていて、警備員に閉館を知らされて気が付いたという。。。。

 絵の中に引き込まれていたのでしょう。

2019/09/15(日) |URL|Anthony [edit]

Re: こんばんは。

真さん コメントありがとうございます^^)

 あらー、ずいぶん頭が柔軟ですね。私の予想外の答えで、感心しました。
1.
> 全能者は、人間の体をまとい、
石を持ち上げられなくなることも
出来るが、
その体から抜け出すと、
軽々と石を持ち上げられる

 なるほど、これはいい。聖書でも天使が人間の姿になって地上に降りてきて、人間の女をめとって生まれたのが巨人(ネピリム)だったという記述があります。

2.
> あのピラミッドは
誰も持ち上げられない
しかし、分割すれば
持ち上げられる
一気には持ち上げられないけど
分割すれば持ち上げれる

 これもいいですね。大きいものは分割すれが移動が簡単になる。組み立て式の機械とかプレハブ式のハウス、折り畳み式の自転車がそうでしょう。

3.
> 超能力と
霊能力と
特殊能力というのが
あるとわたしは思っています
そのどれかの能力をつかえば、
石は持ち上げられるのでは
ないでしょうかと思いました

 そうですね。人間の中にはそういう能力を持っている人が実際にいます。チベットのほうには集団で、あるいは一人で山奥に住んでいるという話もあるのですが、一度自分の目で見たいものです。真さんもそのジャンルの人じゃないですか。

> なので、神は、
方法を残していると思います
誰にも出来ないことは、
初めからやらせない

なので、全能者はなんでも出来る

それは、自分が出来ることを日々するから
出来るようになる

 これは深いですね。聖書を学んでいた頃、よく思いました。神は完全だが、人間は(原罪を受け継いでいるので)不完全だ。不完全なので自分の罪深い思いや人格の欠点がなかなか直らない(と居直っていました)。(笑)

 でも人間は神のように全能ではなく、できることを日々していくようになっているので、努力をすれば、それが実って良い結果を生むのでしょう。そう考えると、それも人生の楽しみの一つだということが分かります。絵を描けば必ず名作ができるなら面白くないでしょうから。必死に努力して、その域まで到達した結果、そうなるのならいいのですが。

 そんなことを思うと、神は全能の人生はちっとも面白くないことになりますが、それを解消するために神は自分の分身である人間を創って、いろいろな代理体験をさせることで神自身も同じ経験をしているのでしょう。人間がいないと神は《重い・軽い》の感覚さえも分からないのでしょう。かわいそうなものですね。

2019/09/15(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: マグリットの『ピレネーの城』

Anthonyさん コメントありがとうございます^^)

> 芸術に疎く、美術展に行っても足早に見て回る僕が、唯一、凝視した作品です。

 って、凝視、というか、気が付いたら、その場で、5時間以上経っていて、警備員に閉館を知らされて気が付いたという。。。。


 ええーッ、本当ですか。5時間ですか。5分ではなく。あまりに感動したと言いたいための誇張表現じゃないですか。
 テレビでは誰かがちょっと泣き目になるだけで「号泣した」なんて表現をよくしますが、50分にしたってすごいことです。
私はおおむね1分以内で通り過ぎます。5時間も立っていたら足が棒になり、根が生えて、5センチは伸びてくると思います。あ、これは比喩的表現です。すなわち誇張表現です。(笑)

> 絵の中に引き込まれていたのでしょう。
 あ、そうですか。絵の前に立っていたのではなく、絵の中に入っていたのですね。これを見ると分かります。この人がそうでしょう。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Son_of_Man

2019/09/15(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「全能」という概念の「不全能」

この世が二元性である醍醐味が、
今回の記事の問いに表されている気がしました。

全能者は「全能ではない」ことも包含していなければ真の意味で全能とは言えず、
「この世に真理はない」という答えを見つけた者があったとしても、
「この世に真理はない」という真理は「ある」ことになってしまう世界です。

人間の知覚能力と世界そのものに、
デフォルトとしてパラドックス(2つ以上の答えや可能性を避けて通れない)が敷設されていること、
このことが人生の道行き、体験や学びをこれからも誰に対しても途絶えさせることのない、
創造者(全能者)の究極の発明だと思っております。

2019/09/15(日) |URL|友資 [edit]

Re: 「全能」という概念の「不全能」

友資さん コメントありがとうございます^^)

> この世が二元性である醍醐味が、今回の記事の問いに表されている気がしました。
 お、「醍醐味」ですか。いいですね。友資さんらしい感想です。

> 全能者は「全能ではない」ことも包含していなければ真の意味で全能とは言えず、「この世に真理はない」という答えを見つけた者があったとしても、「この世に真理はない」という真理は「ある」ことになってしまう世界です。
 このコメントもいいですね。私も書いてから一日経ったら《全能者は、自分ができないこともできなければ、全能ではない》と、ますます思うようになりました。その理由は、全能者は《自らの意識により、どんなことでも思うことができ、自分が考えたことは何でもできる》はずだからです。
『神との対話』の本の中では、《人間が思わないことは宇宙には存在しない》とありました。なぜなら宇宙は《意識》によって創られたからで、だから人間の《意識》でイメージできることはみな宇宙に存在しているのだそうです。ゆえに「持ち上げられない石」も神の分身である人間がそう思えば、全能者もその感覚を共有でき、いわば体験できるはずです。そしてもちろん、全能者は意識により重い石を持ち上げようと思えば、いつでも持ち上げることもできるはずです。

> 人間の知覚能力と世界そのものに、
デフォルトとしてパラドックス(2つ以上の答えや可能性を避けて通れない)が敷設されていること、このことが人生の道行き、体験や学びをこれからも誰に対しても途絶えさせることのない、創造者(全能者)の究極の発明だと思っております。

 「創造者の究極の発明だ」というのがいいですね。そうですね。人生には、矛盾があり、問題があり、困難があり、苦しみがあり、悲しみがあり、そしてまた解決があり、達成感があり、喜びがあり、楽しさがある。そのように愛も憎しみも、清らかなことも汚らわしいことも、何でもあるのは確かに創造者の愛の発明なんでしょう。

 というわけで、友資さんに後押しされて、本文に解答⑦を追加しました。ありがとうございました。

2019/09/15(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

神は我を崇め信じよとのたまふ

 無神論者が居る時点で神様は全能の看板あげちゃ駄目です。信者を欲しがっている時点でうさん臭さ満載です。そんなに信じてほしくば、端から自分を信じていない者なんか作らなければ良い。それやってない時点で全能でも何でもない。わたしゃ農業やってないから全農でも何でもない(農業を本気でやるなら農協抜けろ・・・名言です)あ、違う?
 人間は罪深いから悔い改めよって、そもそも罪深いのがまずいなら罪なんかおっ被せなきゃ良い。自分で作っといて失敗作だ言うならそれもう全能じゃないし、失敗も意図的と言うなら罪もまた真理として改めさせる必要なんかない。矛盾だらけでやんす。
 人間、何かを創造しようとするとどんどんエスカレートしてしまいます。良いにつけ悪いにつけ、その上、その上を求められるもんです。神様もあるべき良心の姿がどんどん盛られ盛られた挙句、遂には全能にされてしまったんではなかろうか。創造の暴走の果てにありえる筈のない存在に祭り上げられたかわいそうな存在なのかもしれませんなぁ。

 ああ、バーソ氏の逆襲が恐ろしや。

2019/09/16(月) |URL|miss.key [edit]

虚淵玄原作のアニメ<PSYCHOPASS>には、聖書で言う全能なる神(造物主)の逆説が出てきます。

Q:神は自分の過ちを裁けるか?
A:全能の神は過ちを犯さないので、自身を裁く必要はない。
Q:しかし神が創造した人間が過ちを犯すなら、それは造物主が犯した過ちになる。

そうした逆説的な問答が延々と続いた後、虚淵玄は全能なる神の逆説の解答を導き出します。
神が宇宙に対立する存在を創造し(自然災害を含め)互いを滅ぼし合わせるのは全てを消滅させ、宇宙をあるべき無に帰す為である。
その目的の為に、神は生物と生物、人と人、国と国、自然と自然を対立させ、衝突させて互いを滅ぼし合わせる。
つまり全能の神は最初っから過ちを犯してはいない…ただ人は神が自分達に都合が悪い姿を見せた時、それを「悪魔」と呼んでいるだけである。
だから善悪(正しいや間違い)と言うものは単に人間の主観によるもので、全能の神には善悪の概念はなく、まして自身を裁く必要もない。

そう全能の神の矛盾を結論付けた虚淵玄氏でしたが、アニメ<魔法少女まどか☆マギカ>では全能の神に反逆する物語を作ります。
すなわち、神が意図する宇宙(生命)の消滅(エントロピー)に抗って、人と人、国と国を繋ぎ、平和を実現しようとする少女のお話。
人は死ぬ。国や民族…人類そのものもいずれ滅びる。神の法則を理解していても、なおそれに抗って生きようとするのが人間なのです。
従って、逆説も矛盾も全て全能の神に造られた人間自身の中に存在しています。今争っている米国と中国、日本と韓国の矛盾の如く。

2019/09/16(月) |URL|sado jo [edit]

Re: 神は我を崇め信じよとのたまふ

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 あらー、miss.keyさんなら、この難しい命題をどう解くだろうかと、じつはかなり楽しみにしていたのですが、キリスト教の神に対してよく批判される一般論でこたえてきましたか。
 とはいえ、お説、いちいち、ごもっともです。

> 自分を信じてないものなんか作らなければ良い
 これはちょっと形を変えて、完全な神が世界に悪があるのを許しているのはおかしいと言われます。悪魔サタンを作って許容しているのはどういうわけかと攻撃されます。

> そもそも罪深いのがまずいなら罪なんかおっ被せなきゃ良い
 これも完全な神が人間を不完全に造ったのはおかしいと言われます。神が造った最初の人間に罪を犯させて原罪をデフォルトで設定し、人類が自分では罪深さを改善できないので罪を消すことができず、したがって罪の結果である死から免れ得ないので、だから愛の神が遣わした独り子イエスを信じなさい、信じれば救われて天国に入れる・・・という教義はおかしい。神が完全なら最初から人間や天使を完全に造ればいいじゃないか、と攻撃されます。

> 神様もあるべき良心の姿がどんどん盛られ盛られた挙句、遂には全能にされてしまったんではなかろうか。
 これもそうですね。キリスト教などが教えている神様は、倫理観の立派な人物を超人化したもので、人間のあるべき理想像が神様にされています。その概念が作られた時代は、力ある独裁者が治めていた封建的な男社会だったようで、根底の思想が独善的で、かなり男尊女卑です。だからユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でも、女は立場が低く、男に従うものとみなされ、人間は死に至るまで神に忠誠を尽くせ、それが人間の本分だと教えられています。私も恥ずかしながら以前はそう信じ込んで生きてきました。

 これらの点についての釈明は今まで何度も述べてきたので割愛しますが、この「神様」は既存の宗教組織が教えている、「様」がつく人格神であり、私がいつも言っている創造神、グレートサムシング、根源、一者と呼ばれるものとは違います。
 この神は、人間に信じてほしいとか仕えてもらいたいとは思っておらず、人間世界に関与しようとも思っておらず、善だとか悪だとかの判断もしません。すべて人間の自由意思にまかせています。そんな、まったく自由な神なんですね。
 だから私はおこがましくも「バーソは自由に」なんてことを言っているわけですが、なんにせよ自由というのはありがたいですね。思想の自由、宗教の自由、表現の自由などがなくなったら大変です。香港の大勢の若者が連日デモをする気持ちもよく分かります。中国・韓国・北朝鮮では首脳の力が強すぎて、政府の方針に楯突くと袋叩きにされたり、投獄されたり、粛清されたりがあるようで、その点、日本はそんな問題外の国ではないので良かったですね。

2019/09/16(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 そんなアニメがあるのですか。やはり「全能の神は存在するのか」そして「もし全能者が存在するなら地上に悪があるのはおかしい」と思う人が多いからでしょう。人間は誰であれ、どこかで神的な存在がいつか自分たちを救ってくれることを望んでいるようです。

> Q:神は自分の過ちを裁けるか?
A:全能の神は過ちを犯さないので、自身を裁く必要はない。
Q:しかし神が創造した人間が過ちを犯すなら、それは造物主が犯した過ちになる。

 この三段論法は、無神論者が有神論に反対するときに用いる常套句ですね。この答えは今までブログに何度も書いてきたので割愛しますが、このアニメ<PSYCHOPASS>は、「神が宇宙に対立する存在を創造し(自然災害を含め)互いを滅ぼし合わせるのは全てを消滅させ、宇宙をあるべき無に帰す為」というのがストーリーなんですか。
 そうなら聖書の「世の終わり→ハルマゲドン」と似ています。全体があちこち壊れて沈みかけている船をつぎはぎ補修してもしょうがないので、その不完全船はいったん壊して、新しい完全な船を作ろうというのが聖書の《楽園→失楽園→復楽園》の教えですから。

> 善悪(正しいや間違い)と言うものは単に人間の主観によるもの
 これもその通りで、二者に意見の相違があるときは、お互いに自分の信じる正義を言い合っている場合が多く、平行線のままです。また往々にして自分のほうが不正義だと分かっていても、相手こど不正義だと言い募って論争に勝とうとすることもありますから、人間の邪悪さというのは困ったものです。

> アニメ<魔法少女まどか☆マギカ>では全能の神に反逆する物語を作ります。すなわち、神が意図する宇宙(生命)の消滅(エントロピー)に抗って、人と人、国と国を繋ぎ、平和を実現しようとする少女のお話。
 これは神はどうであれ、人間の側の努力があれば世界は良くなるという積極的な話のようですね。

> 従って、逆説も矛盾も全て全能の神に造られた人間自身の中に存在しています。
 これが論議の帰結で、命題の解答になるわけですね。joさんは今回もずいぶん時間を掛けて考えていただいたようで、ありがたいことです。
 冒頭の「従って」は別にして、続く言葉にはまったく同意します。人間の中に在るものは神の中にも在ると思います。錬金術の基本原理にもあるように「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」でしょうから。

 私が思うに、国と国の争いは要は経済的な損得の争いですが、意地とプライドの争いの面もあるようです。米対中の問題は《中国という自分のレベルに近い大国を落としたいアメリカの優越感と不安》により、日対韓の問題は《日本という自分のレベルに近い日本を貶めたい韓国の劣等感と対抗心》によると思っているのですが、どうでしょう。
 特に後者は国策として抗日を掲げ、学校では反日教育をしているのですが、民主主義国家で民主主義国家に対してそんなことをしている国が他にあるのでしょうか。それでは最初から両国が仲良くなれるはずがありません。困ったものです。

2019/09/16(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

空白の5時間(笑)

立ちっぱなしの販売職や、ガードマンなんぞをやっていたので、立ち尽くすってのは問題無しです。

クラブでD.Jをしてた時はトイレ以外は10時間くらい立っていました。

 なので、ピレネーも城の前では、立ちながら、たぶん眠っていたかもです。(笑)

2019/09/22(日) |URL|Anthony [edit]

Re: 空白の5時間(笑)

Anthony さん コメントありがとうございます^^)

 まあ、いろいろな仕事を多彩にしてきたのですね。あるときは物書き、あるときは楽器演奏、あるときは歌うたい、あるときはガードマン、そして、なんとDJもしていたことがあるのですか。それだけ多才ならおしゃべりもかなり上手なんでしょう。
 私はビクターの音楽番組用に、DJの原稿をアルバイトで書いていたことがあります。私の場合は駄洒落ばかり散りばめていましたが、本当は時事的な流行語を使ったりして書けばよかったのですが、その方面はあまり縁がなかったですね。

 しかし立ちながら眠っていたとすると、前日はかなり疲労していた可能性が考えられます。あるいは下のほうに血液が下がり、足が棒になり、頭の血液が少なくなり、頭が岩石になった可能性もあります。そう、きっと、岩石の絵に影響されてそうなったのでしょう。(笑)

2019/09/22(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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