「バーソは自由に」

 考え方はいろいろあるから面白い。

 『ニコンDf 』のアイデンティティは、革張りペンタカバーだ。 

フルサイズのデジタル一眼レフ「Nikon Df 」が11月28日に発売された。
「Df 」の「f」は、fusion(融合)。
《精密機械の感触》と《フラッグシップ機D4画質》の融合を意図したとのこと。

開発コンセプトは「日曜日にはフラリとこれを下げて出て行く心持ちのもの」。

「ニコンDf 」ボディ278,000 円(メーカー直販) 仙台工場製
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 イエスは、天に「マンション」を用意している? 

私は若かりし頃、ファッションは『VAN』一辺倒だった(みゆき族ではない)。
VANを創った故・石津謙介氏の服飾哲学に影響され、長年、春秋冬はツイードの
ジャケット、シャツはオックスフォードのボタンダウン、黒のニットタイしか締めなかった。

『VAN』の石津氏が、「衣・食・住」の順序は「住」が先頭だと言っている。
 食住は獣もなすが、衣を享受することは人間のみに与えられた尊厳である。
 しかして、衣こそが食住の先となる。

なるほど、さすがファッションの御大である。・・・さらに、氏は「住」の定義もしている。
 食は命の糧であり、 住は平安を得る場所である。

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確かに、人は平安を得られる「住まい」を求めている。
落語の寿限無は「食う寝る処に住む処」と、「住」を繰り返して心配している。
「朝寝朝酒朝湯」のほうが、積極的快楽的志向があると愚考しますが。

糸井重里氏は「くうねるあそぶ」と、「食住」は基本だが「遊」も基本と訴求。
(ひらがな・読点なしのコピーで、新しい生き方のように感じさせている)
 ※1989年の日産セフィーロのCM

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写真は「飾り表示」のつもり。すべて文脈とは無関係です。

 言葉の省略化は、時短である、省エネである、労削である。 

「きもい」とか「アラサー」「しゃめ」「ファンデ」「ドクモ」「ガバショ」など、
私には難解な《短縮言葉》が多くなった近頃ですが、まずは小話から。

「最近の若い者は言葉の省略をして、けしからん。言葉の特訓が必要だ」
と、ある知識人が批判をしたところ、
「特訓とは特別訓練の略ではありませんか?」と言い返されたとか。


今回は冗長で長大なゆえにかなり省略したほうがよいのではないかと思えるほど
度を越して長たらしいためにゲンナリうんざりしてしまう恐れもある長い名前の
特集ですので覚悟のほどはよろしいかと心配になる記事です。
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ダリてしまうほど長い《題名》のサルバドール・ダリの絵。
Gala contemplando a Dali en estado de ingravidez sobre su obra de arte "Pop, op,
yes yes, pompier", en el cual podemos ver a los dos angustiosos personajes del
Angelus de Millet en estado atavico de hibernacion ante un cielo que puede
transformarse de repente en una gigantesca Cruz de Malta, en el centro mismo
de la estacion de Perpinan, hacia la cual converge todo el universo.
(訳)全宇宙がそこへ向かって収束するペルピニャン駅のどまん中で、突然巨大な
マルタ十字に変形するかもしれない空の前の冬眠が隔世遺伝した状態にあるミレーの
晩鐘の悲しみにくれる二人の人物を見ることのできるダリの芸術作品「ポップ、オプ、
そうそう、ポンピエ」の上の無重力の状態にあるダリを見つめているガラ。
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一般に、この絵は『La estacion de Perpinan(ペルピニャン駅)』と呼ばれる。
ミレーの晩鐘があるのは理解したが日本語訳は理解不能。ダリが訳したのか。


 聖書中で、神が殺した人間の数が見過ごされてないか? 

「目には目を、歯には歯を、命には命を」という有名な言葉がある。

これは刑罰は同等のもので償わせよ、すなわち誰かの目を損なったら目で賠償させよ、
歯を損なったら歯で賠償させよ、命を損なったら命で賠償させよ、という聖書の掟
(出エジプト記21:23-25、レビ記24:20、申命記19:21)である。
これはハンムラビ法典にも同様のものがある。

この掟では1人しか殺していないので死刑は不適当だという判決はあり得ない。
逆に、1人も殺してないのに死刑を執行されるということも基本的にない。

ところが、その掟を定めた神は、聖書中で200万人以上の人間を殺している。
詳細な数字は2,038,344人→参考 ※2,476,633人と計算した人もいる→参考

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