世の中、「むべなるかな」の同意思考を忘れていないか。
盤珪和尚だけはべつで、師の音声を聞くに、得失・毀誉(きよ)・尊卑・上下のどういふ場合にも異色を容(い)れず、やはらぎにみちた妙音声であつて、師に接する者、その声を聞いただけで信に入ることもむべなるかなである、といつたといふ。―――――『ひとの不幸をともにかなしむ』吉野秀雄
まずは、上記の文章を要約しておきます。
「盤珪和尚(江戸前期の臨済宗僧)の声だけはどのような場合でも、やわらぎに満ちた声質であったので、人々が和尚の声を聞いただけで信じるようになるのはむべなるかな(もっともなことだ)と言った」という話です。
私は、声が優しいとか人格がいいといった理由ですぐ信じることはないですが、論理的に説得されると信じやすいほうですね。というより理詰めで説得されるのはかなり好きです。
理屈や物証を挙げて論じられると、思考回路がすっきりして心地よく感じます。
特に自分が思ってもいなかった視点から論じられると、面白く感じます。
世の中には頭がいい人がいるなあと思って、うれしくなります。
こちらの間違いを親切丁寧に教えられると、有り難くて、感謝します。
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知的好奇心が満たされることは、人生の愉しみの一つです。
ネットの情報を調べていて面白いのは、Aさんの論理的な意見を読むと、やはりそうだなと納得し、Bさんの論理的な全然別の意見を読むと、なるほどそうかと納得することがあることです。例えば新型コロナへの捉え方と対応法とか自動車の電動化や地球の温暖化の問題では、対立する見解や異なる意見があり、私はそれぞれの論理に「むべなるかな」と思うことがありますね。
そうなるのは自分の知識の不十分さがありますが、他には、それぞれの人が最初に見た事実か、好きな事実を基に、自身の理念(や利害)も含めながら自説を構築しているからでしょう。また物事の一部や一面を見て「一事が万事」だと決め込む安直な判断思考もあるでしょうし、憶測に基づく陰謀論もありそうです。
様々な意見が論理的また公平に論じられているQ&A方式の真面目なサイトは、弁護士と検事の口頭弁論を観ているようで、自分の思考の研磨になります。
拙ブログに興味深いコメントをいただいて返コメで同意を表す際、「なるほど」と書くことが多いので他の言い方を考えていたら、「むべなるかな」という雅語を思いついたので、今回はこの語に関わる話をまとめた次第です。

「むべなるかな」の意味は、“なるほど、いかにも、もっともだ ”です。
類義語は、同意します・そうですね・でしょうとも・もっとも至極・得心が行きます・腑に落ちる・仰せの通り・さようでございます・その通り・膝を打つ・そりゃそうだ・いかにも・がってん・無理からぬことだ・どんぴしゃり・もちよ・さよう・むろん・さもありなん・御意・そうね・はいはい・うんうん……があります。
漢字を使う場合は「宜なるかな」と書きます。
「宜」の読みは「むべ」と表記するのですが、平安時代までは「うべ」と読んでいたそうです。
覚え方は、「宜(よろ)しくお願いします」と使うことを思い出せば、“よろしい”という意味だと分かります。「便宜を図る」とか「時宜にかなった」と使うことを思い出せば、“良い、都合がいい”という意味だと分かります。
漢字「宜」の象形は、宀(うかんむり/祖廟)+且(重ねた供物)=宜(供物が適当である。すなわち宜(よろ)しい)、となっています。
「且」は、まな板の上に材料を重ねた様子を示し、意味は “重ねる、まな板、その上に” です。だから「且(か)つ」は “その上、さらに” という意味なんですね。
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アケビに似た「むべ」という名の果物があります。
7世紀後半、天智天皇が滋賀県近江八幡の地を訪れた際、八人の男子を持つ老夫婦に長寿の秘訣を尋ねたところ、「これを食しております」と言って果実を渡されたので、賞味した天皇が「むべなるかな」と述べたという伝承があるそうです。
ちょっと意味が分からなかったのでGoogle検索したら、天皇がそう述べたのでその果実が「むべ」という名になったという解釈と、元々その果実は「むべ」という名だったという解釈があり、どちらが正解かは不明でした。

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「むべ」の皇室献上は天智天皇に始まり、1982年に途絶えましたが、近江八幡市にある大嶋奥津嶋神社が2002年に復活させ、以降毎年、献上しているそうです。
雅語が衰退しています。
『ことばの総泉挙/デジタル大辞泉(2019.9.12)』の調査によると、「むべなるかな」の意味を正しく解釈した人は約6割で、“まったく残念なことだ”と誤って解釈していた人が約3割いたそうです。だんだん雅語もすたれていますね。本来の日本語なのですが。
「むべなるかな」の英語は、“quite right(クワイツ・ライツ)”です。“quite”は「まったく、すっかり」という意味で、“right”は「正しい」という意味です。
カタカナ語と短縮語が大流行りの世の中。そのうち、「クワライ」とか言うようになるのでしょうか。
いや、そんな我語、ここらじゃあ、イヌも食わらいやい。(笑)
《参考》―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001974/files/58915_68487.html
http://kotobahiroi.seesaa.net/article/462158136.html
http://www.page.sannet.ne.jp/mahekawa/mubenarukana.htm
https://www.kanjipedia.jp/kanji/0001302800
http://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-3901.html
https://precious.jp/articles/-/21578
https://business-career.jp/articles/xUi1k3ByArI6uYYjbjoZ?page=2
https://oggi.jp/6063084
https://kyodonewsprwire.jp/release/201910182344
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光と影と陰の『パプリカ』。闇と光は両立する。
またまたちょっと古い話題で恐縮ですが、数か月前、初めて米津玄師さんの歌をYouTubeのストリートピアノで聴きました。それは『パプリカ』です。
この曲がリクエストされて演奏が始まったら、小さな子ども二人がダンスを始めたので、ほう、特にいいメロディとも思えないこんな曲が人気なのか思ったのですが、別のときに、絵がとてもいいこのYouTubeを見かけたので、歌詞を見ながら聴いていたら、自分の子どもの頃を思い出し、ノスタルジックで、深い意味がありそうで、なかなかいい感性の曲に思えてきました。
英語ネイティブの子どもたちの『Foorin team E』が歌うヴァージョンは、不思議なことに民謡調音階の印象が消えていて、これもいいですね。→ YouTube