「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 『賢者の贈り物』は、人間の気遣いと信仰の関係を語っている。 


 オー・ヘンリーが1905年に発表した『賢者の贈り物』という短編小説がある。

 私は子どもの頃に読んだだけだが、今回『青空文庫』で読み直して驚いたのは
主人公の夫婦が若かったことだ。
 話の中に懐中時計が出てくるせいで老年夫婦の話だと思い込んでいたが、夫が
22歳だと分かったとき、ああ、当時のアメリカには、その日暮らしの貧乏な若い
夫婦がいて、互いに精一杯愛情を表そうとした話があったほど、清く貧しく善き
純粋な時代だったのか、と思ったら、どっと涙腺がゆるんできた。

 ウイルス問題で何かと心細くなる今日この頃。この「賢者」とはだれなのか?
という点をバーソの視点で解釈しました。


『賢者の贈り物』のあらすじ

 舞台はクリスマスの前日。ある若い貧しい夫婦は贈り物をする金がなかったので、二人とも自分が大事にしていた唯一の「宝物」を売ることを決断した。
 妻デラの宝物は、シバの女王(※1)さえ羨むような美しい「長い髪」だったが、それをバッサリ切って売った金で、夫の金の懐中時計に合う「プラチナの時計鎖」を買った。
 夫ジムの宝物は、祖父と父から受け継いできたその金の「懐中時計」だったが、こっそり質に入れ、妻の美しい髪によく似合いそうな宝石入りの「亀甲の髪飾り」を買っていた。
 そしてイヴの夜。
 二人が心を込めて贈り合ったクリスマスプレゼントは、互いに使えない物だった。

   



 この物語は、東方の「賢者」が幼児イエスに黄金・没薬・乳香の贈り
物をしたという新約聖書の逸話を下敷きにしている。
(マタイ2:1-13)

「賢者」の原語「magi  マギ」は、英語マジックの語源になった言葉で、「魔術
師」とか「占星術師」という意味だが、占星術師は当時は天文学者でもあったの
で「博士」とも訳され、「賢明な人」として尊敬されていた。

「賢者」が持ってきた高価な贈り物は、当時2歳以下(※2)の幼児だったイエスに
は役立たずの物だったが、「賢者」は、イエスが将来はメシア・キリストとして
偉大な人物になることを見通していたので、賢明な贈り物をしたことになる。

 デラとジムの若い夫婦が互いに贈った物も、そのときは互いの役に立たなかっ
たが、二人の将来の幸福な家庭を確固たるものにする賢明な贈り物になったわけ
で、それゆえ、この書のタイトルは『賢者の贈り物 The Gift of the Magi』と
されており、これが一般的な解釈のようだ。
 作者は、この純愛物語をこう結んでいる。

 どこにいようと彼らは最も賢明なのだ(Everywhere they are wisest. )
 彼らこそ賢者であるのだ(They are the magi.

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 ここからがバーソの解釈です(というほどのものでもないのですが)。

 夫ジムは22歳。オーバーは古着化しており、手袋もなかった。
 収入は、週30ドルだったのが、いまは3分の1減の週20ドル。
 浮浪者が住みそうなほどボロいアパートの家賃は週8ドル。
 20ドルから家賃8ドルを引いた12ドルが1週間分の生活費だった。

 12ドルを7日で割れば1日約1.7ドル。20ドルの時計鎖を買うには、割る1.7
イコール約11.7日分の生活費が必要になる。貯金ゼロで、その日暮らしなのに、
デラは、1か月の3分以上の1もの生活費を使って夫に愛情表現をしたのだ。

 だが客観的に見れば、愛はあるものの、経済感覚はいただけない。買い置きの
食料が尽きたら、仕事がなくなる年末から新年はどうするかを全然考えてない。

 もし我が家が同じことをしたら、金がないときになんでそんなことをしたのか
と間違いなく互いに怒り合うだろうし、そもそもそんなことは絶対にしないので
喧嘩にはならないし、したがって、こんな麗しい話には絶対にならない。


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 しかしながら妻デラは、明日は明日の風が吹くという能天気型人間ではなく、
クリスマス・イヴの前日は、こんな悲観的な気分に浸っていた。

 人生というものは、わあわあ泣くのと、しくしく泣くのと、微笑みとで出来て
おり、しかも、わあわあ泣くのが大部分を占めている。

 しかしイヴ当日、夫が自己犠牲的な愛を自分に示してくれたと分かったとき、
デラは自分の信仰心をもらした。

「たぶん、わたしの髪の毛の一本一本まで神様には数えられているでしょうね。
でも、わたしがあなたをどれだけ愛しているかは、 誰にも量ることはできない
わ」

 このセリフはイエスが述べた「あなた方の髪の毛までも一本残らず数えられて
いる。だから恐れるな、あなた方は神から愛されている
」をベースにしている。

 デラもジムも普通のアメリカ人として、キリスト教の「神信仰」を持っていた。
 二人は、ほろ苦い失敗感を感じたものの、互いに自己犠牲的な最上の愛を贈り
合ったゆえに、心の中には温かな幸福感が微笑みとともに充満したはずだ。
 二人は、この経験で「神信仰」が増し、幸福感がいっそう増し加わったのだ。


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 人生は、たとえ大きな問題を抱えていても、誰かが自分を優しく想っ
ていてくれると思えると、ほんわり幸せな気持ちで生きていける・・・。


 じつは、これが有神論のメリットであり、マジックなのです。
 宗教組織は優越感で宗派争いをしたり信者から金を巻き上げ、適者生存と弱肉
強食思考の無神論者は弱者を蹴落としています。誰であっても思わぬ事故や病気
や災害に遭い、生きているとつい悲観的な精神傾向になることがあるでしょう。

 しかし「神信仰」があれば、自分には「見えない助け手」が付いていると思え
て、少しばかりの、いえ、少し以上の安寧と幸福感を持てる利点があるのです。
 
 そうした信仰があれば「神は神を愛する人間を愛している」という宗教的な神
信仰であっても、あるいは「神は人間の自由意思にまかせている」という精神世
界的な信仰であっても(私はこちらのほうです)、最終的にはきっと最善の結
果になるはずだと思って生きていけるのです。

 だって、神が「無条件の愛の神」なら、最終的には必ず人間に善いものを与え
るはずじゃないですか。その神は、ジムとデラが互いにした以上の、はるかに賢
明な最上の善い贈り物を私たち人間に準備しているはずじゃないですか。

 そして私は、それが「賢者の佳き贈り物」であると思っているのです。


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《補足》

 武漢発祥ウイルスは世界に拡大しましたが、この問題解決を世界のみんなで協力して考えるきっかけにすれば、大きな不幸中の幸いな体験の一つになり、「賢者の贈り物」のようになり、人類向上のワンステップになります。

※1:シバの女王は南西アラビアの女王。イスラエルのソロモン王の知恵を聞くために、豪勢な随行員とともにはるばる遠路を旅してやってきたが、あまりの宮殿の壮麗さと国の繁栄を見て肝をつぶした。シバの女王は金120タラント(現代に換算すると約5000万ドル)とバルサム油や宝石などの贈り物をソロモン王持ってきたが、ソロモン王はそれを上回る贈り物をシバの女王に贈り返した。(列王記上10:2-9、列王記下9:12)

※2:東方の賢者がイエスに贈り物をする場面を描いたクリスマスカードは大抵、イエスを馬小屋の飼い葉おけの中にいる赤ちゃんとして描いているが、実際は2歳以下の幼児だった。というのはキリスト救い主になる人物がユダヤの王として登場すると、将来は自分の支配者としての立場が危うくなると恐れたヘロデ大王が「ベツレヘムにいる2歳以下の幼児をみな殺せ」との命令を出しているからだ。イエスが赤子なら「赤子をみな殺せ」と言えばいいはず。

●『賢者の贈り物』の邦訳は、Copyright (C) 1999 Hiroshi Yuki(結城 浩)
青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000097/card536.html

●オー・ヘンリー(本名ウィリアム・シドニー・ポーター)は、医師の息子としてノースカロナイナで生まれたが、3歳のときに母を亡くし、15歳で学業を離れ、22歳のときにテキサスに移り住み、様々な職を転々として過ごし、銀行の金を横領した疑いで起訴され、病気の妻と子を残して逃亡したものの、妻の危篤を聞いて家に戻り、懲役8年の有罪判決を受け、服役中にも多くの作品を書き、模範囚として3年半後に釈放された後、ニューヨークに移り住み、多くの作品を書いたが、最後は過度の飲酒から体を壊し、47歳で生涯を閉じた。



 『今昔物語』の悪口話は、口から出て、口に返る。(後編) 


 前回は、「褒める」行為には、自他ともに喜びがあることを考えましたが、
 今回は、逆に「けなす」人には、どんな感情、また動機があるかがテーマです。



今昔物語集』巻十四第廿七話 阿波国人謗写法花人得現報語

 今は昔、阿波の国名方郡殖村に一人の女がおった。名前を夜須古(やすこ)といった。
 白壁の天皇(光仁天皇)の御代のことや。
 この女が願を立てて、法華経を書写し奉ろうと思うて、麻殖郡の苑山寺において、心を尽くして人に頼んで法華経を書写させた。

 ところで、その郡に忌部連板屋(いんべのむらじ いたや)という人がおった。
 この人が、経を書写させとる女人を憎んで、女の過失をあばき立てて悪口を言いふらした。
 すると、たちまち板屋の口がひきつったように歪んで、顔がねじれ曲がった。
板屋はそれをたいそう嘆き悲しんだ。
 ほなけんど、それでもなお、後悔することのう、善行を積むこともなかった。そのため、口も顔も直らなんだ。

 このことを見聞きした人は、「これは疑いものう、心を尽くして法華経を書写し奉る人をそしり憎んだためだ」と言うた。

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           Pablo Picasso, Le Marin, 28 October 1943


       ※原典を阿波弁に変換しています。絵の使用はジョークです。

       
 歪んだ言葉を口から出せば口が歪む、という顔面破壊・因果応報の物語でした。


けなす」の類語は、「そしる、くさす、罵る、毒づく、ディスる、馬鹿にする、
チクリと言う、悪しざまに言う、バッシングする、罵倒する」などがありますが、
これを仕事にしている人がいます。
・ただただ反対と罵倒と揚げ足取りをしている桜尽し代議士。
・ことさら酷評と誹謗とあら探しをしている良識調メディア。 
・もっぱら批判と悪態と咎めだてをしている目クジラ有識者。
・とにかく悪評の宣伝とこき下ろしに熱心な反日趣族主義者。

 『今昔物語』の牛の突合せ。褒めると牛も舞い上がる。(前編) 



『今昔物語集』巻四第丗三話 天竺長者婆羅門牛突語

  今は昔、天竺に長者とバラモン(最高位の僧侶)がおった。
 二人は日ぃ定め、金千両を懸けて牛を突き合わせとったけん、この闘牛の様子を大勢の者が観にきとった。
 長者は言うた。
私の牛は極めて異様や。角も顔も首も尻もみな、力無(ちからな)の相がある
 牛はその言葉を聞いて落ち込み、「うちゃきっと負けるだろう」と思うたが、案の定、長者の牛は負けて、千両の金がバラモンに渡った。

 長者は家に帰って、牛に恨みがましゅう言うた。
お前が負けたけん千両の金を取られてしもうた。お前は頼み甲斐がない。情けない奴や
 牛は言い返した。
今日負けたのは、あんたがうちを悪う言うたせいや。うちゃたちまち魂が失せて、力が出んようになったんや。もし金を取り返したければ、うちを褒めて、もう一度闘わせてかぁ

 長者は牛の言葉を聞いてから、「次は三千両を掛けて闘わせましょう」と再度の牛突きを申し出たら、バラモンは前回勝ったものやけん、こころよう承知した。
 そこで長者は牛の言う通り、限りのう牛を褒め、それから再び牛突きをしたら、バラモンの牛が負け、バラモンは三千両を長者に渡した。

 そういうわけで、万事に言えることけんど、褒めれば花が咲き開いて、功徳を得ることになる、と語り伝えられとる。

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   pixabay                   
                          ※原典を阿波弁に変換しています。


 長者の牛はお調子者だったようです。自分が頼んだ誉め言葉にウッシシと喜ん
で元気を出しました。人間だって同じです。褒められるとエンジンが掛かります。

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 世の中には、褒めるのが好きな人と、けなすのが好きな人と、二種類いる。
 自分がそれをされる側になると、みな一種類の人間になる。


 今回は、前者の「褒める」話を前編として扱います。


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